Interview

出演者へのインタビューを順次公開します

それぞれのダンス観や公演への想いなど

ぜひご一読ください。

【第二回 加藤 理愛】

2人目の振付家は、加藤理愛さん!

彼女が1日に消費するエネルギーはきっと平均の5倍くらい…。いつも元気に動きまくっています(笑)

個人的に、学生時代から現在に至るまで一緒にいる時間がとっても長い理愛さんですが、ここでさらに掘り下げていきたいと思います。

※インタビュアー:女屋理音

——— ではまず、ダンスの経歴を教えてもらえますか?


5歳の時、クラシックバレエからでした。

三重県出身なのですが、最初は地元の小さいカルチャーセンターで週に1回くらいから始めました。

小学2年生くらいで、そのカルチャーセンターの先生が留学するからクラスがなくなるというので、母がリサーチしてくれて別の地元のバレエスタジオに通うようになりました。

それまでは発表会がなかったから、初舞台は小学校3年生とか。結構遅めだと思います。

続けていくうちに、本格的にやろうということになって、小学6年生からは名古屋のバレエ団の付属研究所に通うようになりました。


高校に入ったら、大学は行くものだという空気があって。大学をどうしようか調べていて、お茶大を見つけてお茶大に行きました。今やっているようなダンスは大学からやっています。

バレエに打ち込んでいた頃

——— じゃあ今やっている、いわゆるコンテンポラリーダンスっていうのは、大学から始めたんですね?


正確に言うと、中学2年生の時に、上村苑子さんという今はドイツにいる方の作品をバレエ団の公演でやることになって、そこで初めて、いわゆるコンテンポラリーダンス作品を踊りました。

この時ぐらいから、私にはこういう方が向いているかもしれないと感じ始めていて。高2の時に、中弥智博さんという振付家のコンテンポラリー作品に出る機会があって、そこで確信しました。


ちょうどその頃、大学の志望校のことを考えなきゃいけなくて。大学でもバレエは続けるかなと呆然と思いながら、理系のコースにいて建築の大学を模試の志望校に書いていたのですが、模試の大学一覧資料を見ていて「舞踊」のワードを見つけてしまった。お茶大って「お」だから最初の方にあるじゃないですか。そこでお茶大にダンスが勉強できるコースがあることを知って、ネットで調べて、先生に相談して、文系に転向しました。大学卒業後のことはほとんど考えずに、「東京の大学でダンスの勉強できるなんて最高じゃん」と思いながら受験勉強していました。


———ちなみに、クラシックバレエよりコンテンポラリーダンスの方が向いてるっていうのは、具体的にどういう点で?


現実的な面で言うと、同じ作品に出ていた子たちと比べたときに、周りの対応も含めて、自分でも客観視できるくらい、クラシックよりも「できる」っていう感覚があったことが大きいです。クラシックでは敵わないような子と踊っていたけど、コンテンポラリー作品の時にはそれまでの教室での上手い下手のヒエラルキーみたいなものが関係なくなっていて。めちゃくちゃ思春期だし、ちょっとした優越感もあったのかもしれません。

ただ、シンプルにコンテンポラリーの方が楽しくて、自由を手に入れたっていう感覚がありました。高校生ながらに自由を感じていました(笑)

撮影:大野隆介

———高校生の時にやってたコンテンポラリーダンスと、大学で始めた創作ダンスっていうのは、何か違った?


まったく同じでもないし、違うわけでもない。共通点はあると思います。だけど中高生時代は、そこまで創作のプロセスに関わってないというか。振りを与えられて、やる。比較的受動的な関わり方でした。自分で創るところまでは全然やっていなかったから、その点は違うなと。他にも何かは違いました、圧倒的に。何だろう、空気みたいなものとか?

加えて、ただ踊るだけだった中高時代とは違って、上京してからいろんな作品に触れて、ダンス作品というのは空間全体を作り上げる作業が必要なんだということに気づいたことも大きかったと思います。



———大学時代は自分で作品を創ってたよね。はじめて創ったのは、何年生の時?


大学2年。フランス研修に行く時。マラソンコンサート(各大学が作品発表でマラソンする)っていう作品発表の日があって、「Place」という作品を発表しました。

それに向けて作品を作る時、確かチーム分けから始まったんです。最初に、自分が作るとしたらどんなことをやりたいかを書いた紙を全員が先生に提出して、そのバランスを見て、先生がグループを作りました。当時のメンバーは、先生が組み合わせてくれました。集団創作が前提で、どうやってみんなで作るのか、役割も皆さんで決めてくださいね、という感じ。

そこで何を書いたのかは全く覚えていないけど、一緒に作品を作ってくときのコンセプトというか、その3人で作ったプロセスは結構楽しかったです。作品は「コンテンポラリーダンスとかよくわかんないけど、私たち、これがおもしろいかなと暫定的には考えてるんです」みたいな、意思と余白のバランスが良かった気がしています。



———その時のコンセプトはどんなだったの?


パーソナルスペースでした。電車に座る時に、ほとんどの人が一番端から座るじゃないですか、習性として。その間にどんどん座ってくのが面白いなと思ったのがきっかけでした。間をとっていくとか、徐々にその人の領域に踏み込むみたいな。

その作品を作る時に、今もこれはけっこう課題っていうか、これを言われた時から何かがこう、私の志向するものがクラシックバレエとかとは違う方向に行っちゃったのですが。作品を作り始める前の段階で、向こうの人(研修参加者)は「なぜ人が踊るのか」をすごく考えているということを、先生がみんなの前で言っていて。それまではクラシックバレエで、バレエはやるもの、踊るもの、踊りは踊るものみたいな考えがあったから、その時に初めてそういうことを考えました。この界隈ではよくいう、「動機」みたいなことだと思います。

最初は、3人とも出会って一年ちょっとしか経ってないし、どうやって作っていくかわからないまま、色々実験を重ねてたのですが。ある日突然、今でもたまにあるのですが、作品の構成が一晩で降ってくるみたいな。一晩のうちに、ノートに舞台の図面を書いて、構成をバーって決めて。みんなに相談する間もなく。これが起きたらこうなってというのを頭の中で組み立てて、それを次の日「ちょっと提案あるんだけど」みたいな感じで試して。先生見せのギリギリだったというのもありますが、1日で作り上げた記憶があります。3人で作っているから、自分が決めていいのかわからないまま作りました。2人がついてきてくれたからありがたかったです。この作品は2月の公演で再演します。

「Place」上演・創作時の様子

———そうやって作品を何個か創ってきたと思うのですが、卒公で上演予定だったのはどんな作品でした?


私はソロに取り組んでいました。

みんなは多分授業内で作品についてプレゼンしたんだよね?私はなぜか授業に出れなかったんです。コンクールがあったかなんかで。次の週には台湾研修に行っちゃうので、映像を出しました。なんでソロやりたかったんだろね。多分ただのエゴだよね。



———りえが強めにソロを希望してたの、私は今でも覚えてるよ(笑)

ちなみにどんなテーマでした?


記憶が抜け落ちてる、、、全然覚えていません。色々嫌だったんだと思う、忘れたいんだと思う。卒公なくなったし、辛かったし。

自分でソロやりたいって言ったけど、責任があるじゃないですか。卒公でソロって。それで首がどんどんしまっていきました。その頃、ちょうど学生表彰で奨学金をいただいたのもプレッシャーになって、作品が作れなくなっていった気がします。さらに、コロナの始まりの時期で公演がなくなるかもしれないことが重なって。ギブアップ。実際、公演はなくなって、何もなくなったと思いました。



——テーマは覚えてないけど、その時の感覚が今の作品に繋がってるかもとかは考えたりする?


2回の中止を経たけど、同じ作品を続けてはいました。(「あー」と叫びながら、ちょっと思い出してきて)たしか最終的には、「気分の移り変わり」とかそういうことをテーマにしていました。

この時の感覚というより、この時の経験は今に結構影響しています。それまでは「作品」がすごく独立していたというか、「ダンス」を特別なものとして扱っていました。舞台で踊ること自体が非日常で特別だからだと思うけど、そこから少し離れたというか、離れざるを得ない期間を経て、もっと日々の生活の中に何かないかと探すようになりました。


私、最初にテーマをドーンと決めて、これをやりたいっていう作品の作り方があまり好きではなくて。徐々に決まっていくとか、最悪決まらなくてもいいと思っていて。テーマがなくても、ただ作品を作りたいと思うことがあるんじゃないかと。

もちろん他人に説明するわかりやすい言葉として、テーマとかコンセプトがこうですと言えた方がいいとは思うのですが。

大学の時も、すごい聞かれたじゃん、テーマとかコンセプトとか。それがあんまり好きじゃない(笑)



——それはすごくわかる。私もテーマが後から自然と浮かび上がってくることが多いな。


卒公から繋がっていることもあるみたいだけど、中止当時はどういう心境だったか聞いてもいいですか?



1回目は、若干仕方ないと思いました。もちろん悔しいけど。人の命がこんなに脅かされていたら、できないよねみたいな、諦め。でもなぜ今なのかという思いはありました。みんな平等に緊急事態の中で、平等なことがこんなにも残酷なのかと、人生で初めて気がつきました。

この前、あるシンポジウムに行った時に、Perfumeのツアーが期間の途中で中止になった映像が流れて、2020年3月あたりの私たちの卒公が無くなったのと同じ時期の映像。パンデミックが起き始めているから、大規模イベント中止ですって。東京ドームの外にいた、参加予定の人たちが、「えっ!?」みたいに動揺していて、その映像が流れた時に、ザーーーっと思い出して泣いてしまいました。ショックだったことが、まだ全然消えてないなって。ちゃんとトラウマになってるんだなって。あの時期の映像流す時、予め注意喚起して欲しいと思います。


2回目は、ただただタイミングが悪かった。

卒公がなくなったタイミングで、他にも辛いことが続いて、ずっと泣いていました。卒論に取り組まなきゃいけないのが救いなくらい。その後は、有難い出会いもあって、なんとか立ち直ったかな。(写真左撮影:邸子殷)

「Here」(2019)と「I Scream Icecream」(2021)

———そうだよね、トラウマだよねあの経験は。そんな辛さを抱えながらですが、今回の卒公で上演する作品はどうでしょう、創作は進んでいますか?


14人の作品を作っています。なかなかこんなに沢山の人と公演をするチャンスはないなと思って、ずっとやりたかった群舞に取り組んでいます。

どこまで喋ろうかな、、、

2つ軸みたいなものはできてきていて、

1つ目は、ひとつの方向をみんなが向いてる、向くように仕向けられている、その方向以外に道があることも知らないまま前に進んでるみたいなシチュエーション。その可能性と向き合っていると言ったら伝わるかな。

2つ目は、生活を続けていくためにしている行為を、毎日ずっと繰り返していることのある種の怖さというか、なんでそれで気が狂わないのかという問い。こちらはまだリサーチ不足ですが、1つ目と何かしらクロスしないかと様子を見ています。

もともと、「宗教っぽい笑」とか「大丈夫?これ宗教みたいじゃない?笑」というセリフが(日本では)笑いながら話されるのが、不思議だなと感じていて、作品の発端も洗脳されて見える状態への興味からでした。

そんなことを考えていたら、安倍さんの銃撃事件があって、宗教とこの国の関係性を改めて見つめ直す風潮が強くなった。



———それがテーマに繋がっていった?


テーマに繋がるというより、生きていて目を逸らせない事態だから、少なからず影響を受けていると思います。この事件後の今に至るまでのメディアの取り上げ方とかちょっと異常だなとも思っています。

あとは、この作品に出ている人がダンスを生業にしている人だけじゃないことも大切にしたいと思っています。公務員の人とか、化粧品会社の人とか、メーカーの人とか、複業している人もいて、音楽家もいます。もちろん、自分がやっている仕事に、100%納得してるわけじゃない人もおそらくいて、そういうことを抱えながら生きていることと向き合いたいと思っています。綺麗なザ・ダンスに興味がなくなってきているというのもあるかもしれません。綺麗なダンスは綺麗なダンスで好きなのですが。



———綺麗なダンスに興味ないっていうことは、じゃあ作品を通して何を見せたいと思う?


明確なこれという答えは難しい質問ですね。そもそも「見せたい」のか?とか考えちゃいます。私が「良い!」って思うものはあって、その瞬間を共有できたら十分じゃないですかね。それが一般的に言う「綺麗」じゃないだけで。

何を見せたい?、、、強いて言えば、私たちが見ている世界・生きている社会はこのようですということをほんの少しでも提示できたら嬉しいです。



———すぐに答えが出ないこともあるよね。それを探りつつ作品が創られていってる気がする。

この作品は大学卒業してから作り始めたんだよね?


卒業してから2021年に1つ作っていて、2つ目です。



———卒業してから、自分の中で変わったこととかある?


変わったことだらけ、、、でもそんなに変わってないのかな

いや、変わってる、変わってるんですけど。



———あんまり「これ」って明確にあるわけじゃない?


ものを考える視点は変化してきていると思います。ダンスが、どう社会と繋がっていけるかみたいなことはすごく考えるようになりました。作品を見にきてもらうのも1つの繋がり方、バレエクラスでバレエが趣味の人に如何に満足して帰ってもらえるかを考えるのも1つだし、ダンスが好きな子供たちと一緒に踊るのも私にとって重要な繋がりで、別に劇場でのダンスだけじゃないなって。

あとは、仕組みやシステムを見るようになったかもしれないです。どうやってそれが成り立っているか。お金的なこともそうですし、それを必要としてる人がいるから、ここにこういうプロジェクトがあって、とか。そんな中で自分はどうするか、何ができるか。まだまだ勉強中です。

それから、「自分はこういう人間だから」という考え方はしなくなってきているかも、人格が流動的というか。変わったことにあまり意識が行かないのは、毎日変わり続けているからかもしれないです。小さな変化でしょうけどね。大きく変わるのは、まあ怖い。



———ではずばり、あなたにとってダンスとは?


2018年のダンス部の公演の時にも聞かれて、「出会い」って答えたのですが、それは変わらないかもしれないです。

、、、「わからないもの」。わからないから、知りたいから、ずっとその過程にいる。わかっちゃったらおしまい、じゃないけど、ずっとわからない気がします。その過程も楽しみたいです。



———では最後に、公演に向けて意気込みを、お願いします!


面白い公演にします。



ありがとうございました!